2009年01月30日
復活の呪文なんて期待してはいけない〜あるゲーム会社との思い出
「なかのひと」を見ていたら、あるゲーム会社さんのお名前がありました。
ふと大学時代の就職活動を思い出したので、昔を思い出して記事を書いてみます。
(今回はSEOの話とまったく関係がありません)
大学時代の就活で何度か面接に通った思い出の会社に、エニッ●スというゲーム会社があります。
同社が発売しているあるRPGが大好きで、学生時代はそのRPGとともに過ごしたと言っても過言ではありません。
昔から絵を描いたり工作をしたりと「物作り」が好きだった僕は、ゲームを作ることに強い憧れを持っていました。
物作りの精神は、高校時代から「音楽制作」へシフトしていきましたが、「音楽制作」も、僕の中ではあくまでも「物作り」の一つであって、とにかく「何か」を作るのが好きでした。
大学の4回生になった僕は、日々、バンドの練習に明け暮れていました。
4回生になった友達みんなが、リクルートスーツを着て、就職活動を忙しく行う中、僕は将来のことを考えつつも、「社会人」になるのがものすごく嫌で、ひたすらピアノを弾き、曲を書いてばかりいました。
音楽を作っていれば、いつか奇跡が起きるだろう、と信じて。
しかし、その考えはとても甘いものでした。
音楽で飯を食いたいと思っているミュージシャンなんてゴマンといます。
自分はピアノが劇的に上手いわけでもないし、ビジュアル系ミュージシャンのようにカッコイイわけでもない。
「音楽なんて、就職してからもできるよ!」と、当時付き合っていた彼女から説教された僕は、とりあえず就職活動を始めることにしました。
リクナビを見ていた僕は、どの企業も面白くなさそうに見えました。
(今なら、それぞれの企業が持つ風土や事業の面白さを感じることができるのですが、大学時代は社会のことにまるで興味がない音楽馬鹿でしたので・・・)
そんな中、偶然、エニッ●ス社の名前を見かけた僕は、心躍りました。
あの国民的RPGを作った会社が新卒者を募集している!
しかもゲームプロデューサー!
物作りが好きだった僕にとっては、ゲームプロデューサーという職業が輝いて見えました。
(ゲームプロデューサーという職業は、実際には「作る」仕事より、作り手を「管理する」方にウェイトがあります)
「エントリシートの書き方」なる本を参考にして書いたエントリシートは、無事通りました。
その後、なんやかんやで、東京までセミナーを受けることになりました。
奈良の実家から新大阪駅に出て、新大阪からは「こだま」の自由席に座り、慣れないスーツを着て出かける日々の始まりです。
セミナーは東京の大きなホールで行われ、聞くところによると、就職希望者は数千人という数。
皆の目の色は真剣そのもので、参加者の気合いの入りように、「こりゃ気合いが違いすぎるかも・・・」と感じ、速攻で落とされることを覚悟していました。
しかし、その後、なぜだか「一次面接」に呼んでいただけることになりました。
書類審査に通ったのか、なぜだかはよく分かりません。
一次面接の時間は朝早いため、東京には前日入りし、一泊してから新宿のエニッ●ス本社に向かうことにしました。
生まれて初めての東京宿泊。
夜になり無性に寂しくなった僕は、寂しさを紛らわすために、夜の東京をフラリと歩いてみることにしました。
市ヶ谷のホテルを出て、ひたすらひたすら歩き続けました。
途中、怪しげな占い師のお姉さんに遭遇し、勝手に占われた挙げ句、大声で「きえー」と叫ばれたので、びっくりして逃げました。
東京のネオンを眺めながら2時間ほど歩いていると、いつの間にか「お茶の水」駅まで来てしまっていました。
「お茶の水駅には美味しいお茶が売っているに違いない」と思い、色々見て回りましたが、特に何もなく、市ヶ谷のホテルに戻りました。
次の日。
一次面接参加者が数百人集まる中、8名ずつが同じ部屋に入り、順に一次面接が行われることになりました。
自分をPRする時間が設けられ、皆、気合いを入れてアピールをしていました。
「●●大学の■■と申します!!」
「おおっ、彼は体育会系だ・・・」などと相手を観察しつつ、僕は面接の雰囲気を楽しんでいました。
正直言うと、僕は全く受かる自信がなかったので、ある種「思い出受験」のような感じになっていたというのもあります(おいおい)。
そして、僕のPRの番になりました。
僕は大きな鞄からYAMAHAのポータブルキーボードを取り出しました。
周りがざわつく中、ポータブルキーボードの電源を入れ、新幹線の中で作った「エニッ●スの歌」を歌い始めました。
皆の冷ややかな目を感じながらも、演奏を終えた僕はやりきった感に溢れていました。
「自分を着飾っても見透かされる」
どこかの映画の受け売りのような言葉を自分のポリシーとしていたので、自分が行ったアピールには満足していたからです。
そのアピールが功を奏したのか、後日、二次面接に呼ばれました。
二次面接でもピアノを弾くことにしました。
ニューオリンズなフレーズを入れた、ブルースを演奏しました。
二次面接もパスした僕は、三次面接に呼ばれました。
三次面接では歌の中に「語り」を入れ、新しいアレンジを試してみました。
面接が全部で何回あったかよく覚えていませんが、なんやかんやで最終面接に呼んでいただけることになりました。
最終面接には、僕を含めて、結局3人が残ったようでした。
すべての面接でポータブルキーボードを弾いていた僕は、もはや「奈良から来た吟遊詩人」的なキャラクターになっていたかもしれません。
人事の人からも「今日はどんな曲弾くの?」とまで聞かれるようになっていました。
しかし、最終面接の内容を聞いて、僕は驚きます。
「社長」や「役員」の方が直々に面接するというのです。
それを聞き、「攻め」の姿勢でひたすら突き進んできた僕は、途端に慎重になってしまいました。
すっかり慎重になってしまった僕は、最終面接にポータブルキーボードを持って行けませんでした。
今思えば、なぜだったのかよく分かりません。
たぶん「社長の前では変なことはできない」と感じたのでしょう。
でも、そう思った時点で負けでした。
「慎重」という衣を着飾った僕は、最終面接でボロを出しました。
自分の熱い思いは伝えたつもりだったけれど、熱さが足りなかったし、何度も噛みました。
・・・後日、エニッ●ス社から連絡が来ることはありませんでした。
「どうして最終面接にポータブルキーボードを持って行かなかったんだろう」
今でも、あの時のことは後悔しています。
ポータブルキーボードを持って行っても、結局は同じ結果だったのかもしれないけれど、
自分が精一杯できることをできなかったのは、後悔以外の何物でもない。
自分が後悔しない生き方をするためにも、自分が出せるものは常に最大限出すこと。「復活の呪文」なんて期待してはいけない。
これが今の僕を支えている、生き方のポリシーです。
さて、今の僕の仕事はと言うと、Web制作や、Webコンテンツ企画、音楽制作など、色々な物作りをさせていただいています。
ゲームの企画や、ゲーム音楽を作ることもあります。
(SEOという仕事自体、ある種ゲーム要素の高い仕事とも言えますが・・・(爆))
いつもお世話になっているクライアントの皆様には、本当に感謝しています。
ただ、ある時ふと「エニッ●スの最終面接」のことを思い出すと、ノスタルジックな気分になってしまうのです。
最終面接に受かりたかった、という気持ちではなく、やり残してしまったという後悔が結構大きいのだと思います。
小学校の時、ずっと好きだった子に「好きです」と告白できなかったような気持ちでしょうか。
だから、自分がこれから作っていくものには、悔いなく、最大限自分が出せるものを表現していこうと思い、仕事をしています。
エニッ●ス社の面接は、僕の人生に大きな影響を与えてくれました。
実際に面接を受けに行って、すごくワクワクする会社だと思ったし、「人を楽しませるゲーム作り、人に夢を与えるゲーム作り」がどういうものかも学ばせてもらいました。
とても感謝しています。
自戒を込めて、8年後の今、この記事を書きました。
PS:それにしても「なかのひと」というツールはすごい。
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